おばけなんてないのか? おばけなんてうそなのか?【初稿】

 小沢健二「天気読み」の“星座から遠く離れていって 景色が変わらなくなるなら ねえ本当は何か本当があるはず”という一節に感じ入ってしまった者は、自意識の渦に飲み込まれ、二度と人前に姿を表すことはなかったという。

 飲み込まれたことに気が付いてから幾星霜、目を開いて辺りを見渡してみると、そこは巨大な海の底などではなく、小さな井戸の中であった。あれ、本当は自意識の渦なんて御大層なものは存在せず、自分から井戸に入っただけだったのかしら。

 立ち上がって少し背伸びをすれば、縁に手が届きそうなのだが、脚が痺れて立ち上がれなさそうなので、もう少し、体操座りをしていようと思う。

 さて、イドと井戸なんていうシャレで一節かますにはあまりに知識と文章力が足りず、キーボードを不毛に摩耗させていくだけであるし、本題に入ろう。

 本当は何か本当があるかどうかなんて誰も教えてくれやしない。それどころか現代日本の希望と答えを体現する星野源御大は、”意味なんかないさ 暮らしがあるだけ”と、僕らにやさしく説いてくれていたりする。それでも僕は、そしておそらく、僕ではない誰かも、どうしても「本当」の存在を切り捨てることができない。いったい何故だろう。どうすれば、生きながらにして「本当」が手に入るのだろうか。

 一つの仮説を立ててみよう。「本当」は目には見えない。けれど確かに存在する。「星の王子さま仮説」だ。なるほど、流石600万人以上のおとなやこどもを魅了し続けている王子さまだけあって、とても正しいことを言っているような気がする。あなたには、この世のすべてが嘘に見えるのかもしれないけれど、そうではない。すべてはものの見方だ。あなたが何気なく触れているあれやこれやにも「本当」はある。心の目で見てごらんなさい・・・

 王子さまは正しいことを言っている。でも少し不親切すぎやしないだろうか。僕にはあの絵が帽子に見えるし、すこし意地悪で、でもとてもかわいらしいバラの友達もいません。そもそもあなたにとってはそのバラが「本当」だったわけなんですよね?うー。そりゃないですよ。僕はいくつもの星を旅することなんてとてもできなくて、ずっと同じところをぐるぐると回りながら生活していかなければいけないけれど、それでもその中に「本当」を見出したい、って話がしたいのに。せめて「心の目」の開き方を教えてください。いや、「それを、自分の頭で考えるんだよ」ではなく・・・

 では、これならどうだろう。「本当」とは実はあなたのすぐそばにある。「青い鳥仮説」・・・。

さっきと同じだ。話にならない。

 もう弾切れだ。これが、無教養人(ばかんちゅ)の悲しいところである。絶対にもっと本を読もう。生活に負けてはいけない・・・。それはともかくとして、現段階ではやはり、僕、あるいは僕以外の誰かは、この世界に生きている限り、自らの不可能性でしか物事を判別できないため、本当はある「本当」にたどり着くことができない、と結論付けるしかない。

ここからが本題である。

 僕の周りには「本当」がなく、また、僕では「本当」を見つけることができない。だから、一つの決意をする。自分に言い聞かせるのだ。「これは、僕の発する言葉ではない」と。どこか、星座から遠く離れた場所から聞こえてくる声に、何も考えず耳を傾けている、というポーズをとるのだ。

 これから記されるすべての文章は、僕以外の者の手によって、出力される。それは他でもない僕のため、そしてあなた以外の誰かのためにである。

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